追記

 

前の記事の追記。

 

散々暗いことを書いたが、それでも希望ようなものはある。

 

それが何かは、俺にははっきり書けない。

 

それは、存在は分かるのだが、表現という名の形にしようとすると、スッと逃げてしまうのだ。

 

だからせめて出来ることは例を挙げることだけ。

 

たとえばそれは、親と子の間の不可解な結びつきだ。

 

子はどれだけ親から迷惑を被ろうが、どれだけ憎んでいようが、それはついて回る。

 

たとえばそれは、同じ釜の飯を食った仲間の間に起こるものだ。

 

別に仲がよかったわけでもない。特に話が合うわけでもない。

けれど、同じ場所で過ごした。

そこに何かある。

 

たとえばそれは、年季を経たカップルの間に起こる。

性欲でもない、情というには近いけれど何か違う。

離れたほうがいいことは分かっているときでも、離れた後も、何かがあったし、何かがある。

 

たとえばペットとの結びつきにもある。

色んなことが違う。けれど、よく分かり合える。どれほど心に入り込んでいるか。

何かが、あるんだと思う。

 

ーー

 

 

こういう、何かってのが、多分、前の記事で書いたことを闇だとすると、これが人間にとって光みたいに感じるものだと思う。

 

これは、体、この俺の存在全体で感じるもの、そういう、感じのものなんだと思う。

 

前の記事は、あれは頭だ。脳味噌に頼り切ったものだ。

カニ味噌がなんか汚らしい色してるだろ。あんな感じのイメージで、脳に頼りすぎるとああいうのが出来るらしい。

 

だから、ひらたくいえば体験なんだけど、うーん、なんかちょっと違うな、。なんか、この現実、いや、この世界をきちんと生きることが、その手立てなんじゃないかと思う。

 

その何かってのは、この世界をきちんと生きていたら、どこからいつからあるのか分からないが、いつ出会えるか全く分からないが、気づいたらあるような、そんな、感じなんだと思う。

 

まあ、そんな感じだ。以上。

同情は弱者の生存戦略

 

優しい人。

 

優しい人はいいことだ

 

と思うかもしれない。

 

特に学生の時分は、周りにいる大人、親や教師がいい子でいることを求めるからその傾向は強い。

 

また、優しくすることで自分が困ったときに優しくして貰える。

 

そういう保険のような要素もある。

 

優しさとは、、一見まともに見えて、これがなかなかめんどくさいものである。

 

少なくとも私は、自分のことを優しい人だなんて言っている人がいれば警戒する。

 

詐欺師か、トンマか、はたまた世間知らずか。

 

貴族の子やボンボンの子など、親が一生面倒見てくれる人は問題ないかもしれない。

 

そんな奴は、親の死後困るだけであって、親が生きている間は可愛いペットとして過保護に育てられるだろう。

 

だが、大勢の人はそうではない。

 

成長するにつれ、親は弱いのだと気づく。

 

大体の人は、特に考えることなく生きている。

 

俺は考えているという人もいるかもしれない。

 

だが、「考える」という格好を取っているだけの奴も多い。

 

何かを勉強し、頭に入れるだけで終わる人のことだ。

 

それならまだ、何も頭に入れず、ゼロから自分で考えた人のほうがマシだ。

 

だから、世の中は考えない奴で溢れている。

 

そんな奴ばかりだから、周りもそうなる。

 

周りもそうなら、そんな奴らは、じゃあ大丈夫だと安堵する。

 

これが負の連鎖である。

 

貧困や弱い立場から抜け出せない原因、家系やら血とやらが重視される原因。

 

こうして考えない大人が大勢いて、そいつらが子を産む。

 

そして彼らが子に生き抜く知恵を与えたいと思ったとき、そう、頭に浮かぶのは、同情してもらうという武器だけ。

 

しかもそれは、自分たちの見栄か、はたまた可愛い我が子に非情な現実を伝えるのが辛いのか、同情を「武器」としては教えず、「優しさ」という仮面をつけて伝える。

 

「優しい人でありなさい。」

 

何も考えない大人はそう伝える。

 

子はそれを信じる。

 

真面目でいい子であるほど、それを信じる。

 

信じた先に何が待っているか。

 

そう、解決できない矛盾である。

 

世界は優しさで出来ていない。

 

世界は暴力で出来ている。

 

子が成長し、人類が利己のために今でも戦争している状況をみたら?

 

それは遠いことだと思うか?

 

では、各学校に必ずあるイジメという名の、裁かれない犯罪をみたらどう思うか?

 

まだそれは解決できるかもしれない。

 

では、もっと具体的にいこう。

 

ネグレクトの家庭に育った子をみれば?

インドの貧困層が寄付を貰うためにわざと子どもの身体を損傷させているのをみれば?

犬や猫が愛玩動物として国民の大多数から可愛いがられる一方、毎年何十万という犬や猫が殺処分されている現実は?

あなたたちが食べている卵のほとんどは、養鶏場でまともに身動きもできない環境に鶏を置いて産ませているものだと知ったら?

そしてその鶏たちが卵を産めなくなった時、無造作にトラックに詰め込まれ(雑すぎてこの時圧死する鶏も多い)、その後精肉になるという、人間が食欲を満たすためだけに生きる存在がいると知ったら?

しかも食べるためという名目だが、その多くが食べられもせず、廃棄されている現実は?

フォアグラの作り方を知っているか?

日本の活け造りは生きたまま食べる、人間が楽しむためなら倫理観はなくなる、そしてそれを伝統だからと辞めない現状は?

こうして多くの犠牲の上に立っている人間が、それでも満足せず、多くの精神病患者がいることは?

この事実の多くは世間は既知だが、それでも何も変わらない、見過ごす人が大半の現実は?

ここまで知って、それでもマジョリティは人間は素晴らしい!と思い込んでいることについては?

 

いかに人間が利己的か。

 

それは年を重ねれば重ねるほど身に染みることだろう。

 

年を重ねてまだ利己的であることを認めない奴がいるならば、そいつは「優しさ」に縋って生きてきた人間だ。

 

自分は優しく、だから生きる価値がある、そしてそんな自分は困ったら同情してもらう価値がある、だから大丈夫。そしてちんけな安心を得る。

 

弱者にとって同情は最強の盾と矛である。

 

そいつにはもうそれしかないから、それだけで立っているから、それをもう手放すことはできない。

 

同情しきれないこの現実を見ても。

 

真に同情的であり、優しくあるのなら、この現実を知れば身を投げ打ってでも解決に努めるはずだろう?

 

だがそんな人間はいない。

 

日々、己の欲求を満たすことのみ考えている。

 

いかに多くの事実が人間の利己的側面を語っても、その優しさは自分の利益になるときにしか発動しない。

 

だから、弱者ののたまう優しさなどは糞だ。

 

弱者の親のもとに産まれた子は、早くこの事実に気が付かなければ自分の人生を生きられなくなる。

 

優しさとは、言い換えれば、情に流されやすいこと。

 

情は、武器だ。

 

使いどころを間違えるな。

 

これは妄言ではない。歴史を通して変わらない普遍的な事実だ。

 

優しさ、、、、なんと都合のいいまやかしだろうか。

 

以上。強く生きろ。

 

 

I want to write english only. not japanese.

I want to ran away.

 

Get out of sit loop everyday.

 

I want to think a thing using english only.

 

no, corectly, I want to never use Japanese langege.

 

Jast, save my mental, me heart.

 

can't live in japan. ever, ever.

becouse  this langege atack me very hard.

 

please, release me, abundone mu langege.

 

ohasaaaaaaaaaaa.ohhohoohhhhhhhhhhhh.....

 

just, just want... to be relax............  

 

very hard, my life, very pinchi,,,,,,,,,,,

 

 

see you.

BUMP OF CHICKENを聴かなくなった。なぜか

 

今日は2022年7月18日。

 

やらなければならないことを放置して、ぐだぐだ一日を過ごした。

 

モラトリアムではない。そんな甘美な時間はとっくに過ぎた。

 

三十代を目前に控えた無職男。絶望とまではいかないが、内と外の目線に常に怯えている。

 

 

ーー

 

 

さて、本題に入ろう。

 

深夜も近くなった今、何もない一日を誤魔化したくて、音楽を聴こうと思った。

 

ふと、BUMP OF CHICKENを思い出した。

 

昔よく聞いていたからだ。

 

中学生〜二十代中盤までだったか。

 

(こんなに長く好きでいたミュージシャンは他にいない。)

 

けれど、ここ数年自然と離れていた。

 

そして今。

 

やはり、聴く気は起きなかった。

 

なんというか、rayを起点に確実に何かが変わった。

 

本人らは変わってないと主張するかもしれない。

 

そんなことはどうでもいい。

 

人は変わるものだし、変わってようが変わってまいが他人がそんなこと気にしたってしょうがないからだ。

 

とにかく、ray以降、なんというか、彼らは幸せになったと思うんだ。

 

俺にはもう、彼らの歌詞が、「俺らは幸せ俺らは幸せハッピーだぜイエイ」と言っているようにしか聴こえない。

 

ここ最近の曲、全部。

 

元々、BUMPに惹かれる連中は、藤原基央も言っていたが、「心に何かしらの傷」を負った奴だと思う。

 

もちろん俺もその一人なんだが、なんか、俺の傷はまだ癒えてなくて、けれど彼らは先に行ってしまった、という感じだ。

 

だから彼らを責める気は毛頭ないんだ。ただ、変わった。それだけ。

 

手負いの俺は離れた。というか、進んでいないだけ。

 

彼らは進んだ。それだけ。

 

だから自然と聞かなくなった。彼らは幸せを叫び、俺は幸せじゃないから。

 

それだけ。なんだ。

 

他に似たような奴がいるが検索してみた。

 

そしたら、言っちゃ悪いが優等生みたいな思想と文章で思春期のいい人気取りの女が書きそうな綺麗事がほとんどだった。

 

吐き気がしたな。あぁ、こういう平和ボケした連中の一味だったのかと。

 

いや、彼女らは幸せなんだろう。きっと俺がおかしいだけで。

 

俺が殺伐とした世界に足を踏み入れて、BUMPの綺麗な世界や彼女らの綺麗事を受け入れなくなっただけで。だって以前は俺もそっち側だったのだから。

 

ああ、そうそう、検索しているとくるりとか言うバンドがBUMPに対して批判気味な発言をしていたことを知った。

 

くるりか、と思い、

 

そういえば奇跡という曲が良かったから聴くか、と思ったが、

 

すぐ、なにか嫌な感じがして聴くのをやめた。

 

これだけ言ったが、多分、BUMPを悪く言われたことをどこか引きずっているのだと思う。

 

そりゃ長いからな。そしてBUMPがこういう足を引っ張る古参を切り捨てていくのも知ってるし、本人らもそういう発言してることは知ってる。

 

だから、老兵は去るのみ。

 

最後にこういう気持ちをネットの海に吐き捨てたって許されるだろう。

 

だって、BUMPの曲一つ一つに思い出があるんだぜ。

 

本当に苦しいときは助けてくれなかったけど、それでも十年も聴いてれば思うところはある。

 

特にジュピターはよく聴いた。

 

stage of the groundなんか結構好きだぜ俺は。

 

翼はないから歩いて行こう、この大地を。そういう心意気好きだ。多分今も好きだ。

 

けどもう聴く気はない。

 

それは昔の曲だし、そこにすがる気はないし、BUMPは今はもう幸せを連呼しているし。

 

していいんだぜ。おめでとうって感じだ。

 

ただ俺がまだ追いついてないから、ちょっと離れるだけ。

 

また爺になって全部落ち着いたら聴きたいとか思うよ。

 

藤原基央、増川さん、升秀夫、チャマ、彼らがどういうところに辿り着くのか興味あるし、彼らは絶対に他のバンドとは違う何かがあると思っているから。

 

馴れ合いもせず、自分の伝えたいことを伝えられるためにとても気を遣ってる。

 

ワンオクロックとか見てみろ。名前にロックって入れてるくせに実体はロックの要素一欠片もない。

 

ただのボンボン二世の道楽だありゃ。

 

あんなのに比べりゃ、優しいこと言ってるようでBUMPって芯みたいなのあるし、実は結構厳しいことと向き合ってるし、自分らにも客にも真摯なんだぜ。

 

だからまあ、やっぱり俺も他の女共と同じようにBUMPを批判しようにも結局誉めてしまうということになるわけだが、だが最近聴いてないのは事実だ。

 

そして当分聴かないのも多分そう。

 

羨ましいのもあるんかな。

 

もうお前ら全部持ってるのにって。

 

幸せって歌われると自分が置いていかれたと嘆き、辛いと叫ばれると全部持ってるお前が言うなと思う。

 

こう書くと俺メンヘラだな。

 

まあいいや。まあ、そういうことで俺はBUMPを聴かなくなった。

 

弱者の反撃、弱者の旗のもと集まった俺たちだが、俺らは弱者のままで、彼らはもはや弱者ではない。

 

そこなんだろうな。引っかかってるのって。

 

好きだったシンガー、売れてから聴かなくなった、新譜出しても暇つぶし、、

 

そんな曲あったよな。

 

分かってたんだろうな本人らも。

 

まあ、そういうことだ。俺はBUMPを聞かなくなった。

 

多分これから先も。

 

けれどそれはロストマンが自分のいく道を決めてしっかり歩むように、俺も自分の茨の道をしっかり歩くと決めただけ。

 

道は違える。いつまでも同じとは限らない。

 

いつまでもファンとは限らない。

 

いつかまた会えたらいいな、じゃあ、バイバイ。