追記
前の記事の追記。
散々暗いことを書いたが、それでも希望ようなものはある。
それが何かは、俺にははっきり書けない。
それは、存在は分かるのだが、表現という名の形にしようとすると、スッと逃げてしまうのだ。
だからせめて出来ることは例を挙げることだけ。
たとえばそれは、親と子の間の不可解な結びつきだ。
子はどれだけ親から迷惑を被ろうが、どれだけ憎んでいようが、それはついて回る。
たとえばそれは、同じ釜の飯を食った仲間の間に起こるものだ。
別に仲がよかったわけでもない。特に話が合うわけでもない。
けれど、同じ場所で過ごした。
そこに何かある。
たとえばそれは、年季を経たカップルの間に起こる。
性欲でもない、情というには近いけれど何か違う。
離れたほうがいいことは分かっているときでも、離れた後も、何かがあったし、何かがある。
たとえばペットとの結びつきにもある。
色んなことが違う。けれど、よく分かり合える。どれほど心に入り込んでいるか。
何かが、あるんだと思う。
ーー
こういう、何かってのが、多分、前の記事で書いたことを闇だとすると、これが人間にとって光みたいに感じるものだと思う。
これは、体、この俺の存在全体で感じるもの、そういう、感じのものなんだと思う。
前の記事は、あれは頭だ。脳味噌に頼り切ったものだ。
カニ味噌がなんか汚らしい色してるだろ。あんな感じのイメージで、脳に頼りすぎるとああいうのが出来るらしい。
だから、ひらたくいえば体験なんだけど、うーん、なんかちょっと違うな、。なんか、この現実、いや、この世界をきちんと生きることが、その手立てなんじゃないかと思う。
その何かってのは、この世界をきちんと生きていたら、どこからいつからあるのか分からないが、いつ出会えるか全く分からないが、気づいたらあるような、そんな、感じなんだと思う。
まあ、そんな感じだ。以上。